縁起とは何か 空とは何か。その2

このような内容は 無責任に書くべきではないと思っていて
(過去に何度か書いてはいますが) どのタイミングで出そうか と考えておりました。

不確実であり、誤解を招きやすい内容であり、まだまだ一般的にはオカルト話の域を出ない。

何故 夕焼けをぼーっと見ていた時そんなことが分かって
それを 絶対のように 言い切れるんだ と問われれば、

分かってしまったから。としか言いようがないのですが、
それが「絶対」とは 申しません。

絶対はない、解釈は 人によって文化によって 様々だからです。
もともと知っていて その記憶が蘇ったとか その記憶にアクセスした
そのような表現をすることも出来ます。 私の好み(趣味)ではないだけです。

人類が持っているひな形のようなストーリーがあります。
地域や 宗教や 文化 人種が違えど、調べていくと 似たようなパターンがあって

そのバリエーションが 人間ドラマであり 神々のドラマでもあり…
全て、人間が作った おとぎ話とも とれるわけです。

多くの人が信じれば それは 実際のこととなる。

たとえば…
地球を 実物大で 見ることは 私たちには不可能でしょう。
そして 地球が 自転していて さらに公転しているなどということも
習ったから 知っているわけで では「なぜ」ということになると
答えは「推測」の域を出ることはありません。

研究している人たちは 大勢います。

それと同じことで 私がここで つらつら書き連ねていることは
私が 幼い頃から考えていたことと 体験と 様々な検証の上
こうであろう、と推測している内容を 記しているに過ぎないのです。

経験したことを記憶をたよりにそのまま書いているだけではないし
誰かから見聞きした知識だけを書いているわけでもありません。
私自身の「知りたい」「やりたいことをやろう」という
自分自身をエビデンスにという意志が 知りたいという意志がもたらしたもので

それは、鈴木弘美という一個人の思いに留まるものではなく
人類の もっと言えば 宇宙の意志のようなものであろうと勝手に推測しているわけです。

人間、個人の経験には限りがあります。
先人の知恵、そして今現代を生きる英知である方々の発信する情報を
生かさない手はないのです。
著名、無名、地位や肩書 経歴 姿形のみに惑わされてはなりません。
自分で 考えることです。
人の言うことは、なんでもそのまま信じるのではなく 疑ってみることです。

疑うことは 決して失礼なことでも 悪いことでもありません。
その人の言動を 受け取る自分の知識が足りないことで
相手の真意を汲み取れないことは多々あります。
つまり、疑うのは 自分の解釈、でもあるわけです。

「簡単に出来るよ」というその「簡単」は
どれほど研究実践してきた人の「簡単」なのか。
もし自分がそれを「簡単」に出来るとしたら
何をどうすれば そうなるのかを 考えてみることです。

簡単イコール即 とは限りません。簡単に出来るようになるまでは時間(経験)が必要です。
再現性がなければ身に着いたとは言えませんよね。

物事、ほとんどのことは考え、調べ、突き詰めていけば、分ることばかりです。
分かることと、絶対、ということは別の話です。

絶対、は すべてを検証しなければ 言い切ることが出来ません。
物事には 例外が多々あるということも 調べれば いくらでも見つかります。

知ろうとしなければ、自分がないと決めつければ、目の前にあるものですら
存在しないも同然。

「これはこういうものだ」と決めつけてしまえば、そこで終わり。

科学者は そのようなところで納得はしません。
哲学者は ただの言葉遊びをしているわけではないのです。

何かを観察する時、観察者と対象物の間に 関係性が生まれ
その観察者の意図が 対象物に影響を与えるということを 量子論は説いています。

対象は、観察されるまでは そこに存在しないも同然なのです。
対象をどう受け止めるか、どのように認識するかは 観察する側にかかっています。

観察する意識が不安定な状態を安定へと形を変える。

関係性を変えるのは 私たちの意識。 それは縁起、空の思想に他ならないでしょう。

続く

縁起とは何か 空とは何か。その2” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください