魔法ではなく「科学」

「科学」
ブリタニカ国際大百科事典より

現在では特に自然科学を,ときには哲学を除いたすべての学問をいう。
科学の語源であるラテン語の scientiaが scio (「知る」の意) の派生語であることからわかるように、
本来は感情や信仰から区別された,理性的あるいは知的な全学問をさすものであった。

すなわち体系化されたすべての知識をさす。
この事実は古代ギリシアにおける学 epistēmēの成立からも明らかである。
これを哲学と科学に2大別するとき,狭義の科学は必ず一定の仮定より出発するが、
哲学はその仮定の成立根拠を問う。
古代においては科学と哲学の区別はなく,科学が分化するのは近世,特に F.ベーコン以降である。

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15年ほど前は、現代の魔法スクールを作りたい…なんて考えていた。
現実や周囲の人たちの言うこと、常識…それらに合わせていたら
やりたいことなんて叶わない。つまらない人生になってしまう。
想像力が現実に影響を及ぼすのだ、誰でも本当は魔法が使える。
知らないだけだ… 基本的な考えは 今も変わらないけど

今はなきゼネラルテラピストアカデミー。
思えば、様々なセラピーの概略を知ったのはここからだった。
その後、様々な書物やセミナー、スクール等で学びながら、
ずっと感じていた違和感

マントラやシンボルや「氣」の力で 病気も治るし お金も 夢も叶う…
(信じれば 確かに 可能だ 信じなくても 叶うことはある)

イメージして待っていれば 日常の行動を変えずとも
誰かが自分を引き上げてくれる 見つけてくれる、何とかしてくれる…
自分らしく自分のやり方はそのままで アファメーションを唱えれば
宇宙にお願いすれば それが叶う 引き寄せられる…

ええっ それは 緊急 応急処置にはいいけど
抜本的な 解決にならないんじゃない?現状、あまり変わらないのでは?
「何とかなる」… 確かに…(私もそう思ってたからね)

人の選択にケチつけるわけではない。趣味の問題だ。
もちろんスピリチュアルと銘打って、現実的な算段をして 稼いでいる人も
成功している人も 大勢おられる。科学が正しくて、こちらが間違っているわけではない。
表現方法が違うだけで どちらにも素晴らしい指導者はいるものである。
(最終的には 技とか方法論ではなくなるから)

「魔法」というより「科学」

量子力学といい、物理学といい 科学(サイエンス)なのだ。
科学は遅れている。行き詰っているではないか、などと
知ったような口を聞いていた私なのだけど…

「体系化されたすべての知識」それが「科学」

人に伝える術として「科学に裏打ちされている」理論があるならば、
それを知らない手はない 学ばない手はないだろう。

コーチングは「科学」なのだと 苫米地博士がおっしゃるように。
空を知り 科学を知り それを自らの人生に、社会に生かす。

空だの科学だの言われて 人の興味をどれほど惹きつけられるか
かつての私を思えば、あっさりスルーされそうだけれども 笑

これらは「無限の可能性」を秘めた「言葉」
科学は「仮定」から出発するが
哲学はその「仮定」の成立根拠を問う(なぜそう思うのか?)

「科学」という「記号」をそのまま受け入れるのではなく
それはあくまでも「仮定」の上に成り立つ学問だということ

「物質の最小単位」があるという「仮定」
「真理がある」という仮定が 物理、を成り立たせているとしたら、

その「仮定」自体を疑うことも必要で
「絶対の真理」などないかもしれない
その「仮定」自体がそもそも 間違っているのかも しれないと

それでも探す、それでも 探し続けるのが「科学者」「探究者」
絶対はない、と言いながら 絶対を探す。

あなたが これは「絶対だ」と思うその瞬間 それは「絶対」なのだということ。
「絶対」という記号が 概念がある限り。 ないものさえ 出現させるこの世界の面白さ。

さて、あなたなら、この世界に、何を出現させたいのだろう?
何を発見したいのだろう? どんなことしてみたいのだろう?

一つ二つなんて言わずライフワークにして、いろんな可能性を考えよう。

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