永遠に続く

完璧を目指す… っていうのは、かなり、子どもっぽい発想。

完璧主義は まだ若々しい人に似合う

突き詰めて考えたり、物事の見方 視野が狭い 経験が浅い
物事を疑わない 真面目な人たちが 好みそうな「完璧主義」

本気で言っている人に そんなこと言ったら 失礼だけど…

ネットで検索しても「完璧」「完璧主義」を 称賛している文章はほとんどない。
自らをそれで 苦しめ、
むしろ、本人の意図から外れ、完璧どころか 人生に破綻をきたす、などなど
(ある一定の制限を設けたうえで 使うならまだしも)

完璧な人生とか 完璧な人間 など 人間世界において それは不可能なのだから。

かつて、死を想い、 永遠に死ななかったら…
その恐怖に、死という区切りがあるのは いいことなのだ
いつでもいいや、の先延ばしが永遠なんて もっと嫌だな…
と思った 私だが

今回は まさにその 永遠に終わらないとしたら?の話

死んでも 終わらないとしたら あなたは このままでいいのか…
可能性を考えておいたほうが いいかも しれない

死んだら 天国に、いや地獄に落ちるぞ でもなく
不老不死でもなく

死んでなおかつ 別の世界があるから
リベンジは可能ですよ 安心していい…という話とも違う

もっとシビアな世界だったら どうする?
その可能性のほうが高いと 私は思っている。

思っていることがバンバンその世界では現象化するとしたら…
どうだろう

そこまで極端ではないにしろ

死んだら 意識がなくなる
自分という存在が消える(それが嫌な人も多そうだけど)
何らか リセットされる のかと言ったら
思考や行動パターンは 生きていた時のまんま

だとしたら… あらー お金がない世界だろうが
なんだろうが 日々(一日という単位があるかどうか知らないけど)
死んだと思っても また似たようなこと
考えたり 感じたりし続ける…

そんな風だったら どうだろうか

寝ている時に見る夢に似た世界に移動するだけという可能性だって
考えられるだろう。

生きているうちに、何らかの団体に所属していれば
あの世では 安心して過ごせる?
死んだ後のことを ここで保証出来ないのをいいことに、
単なる「営業トーク」という可能性は大だよね、

永遠に続かないんだ。
終わりがあるぞ、なんて 誰が 保証できるというのだろう
これは 大真面目な話。

誰にも、 本当のところは わからないのだもの。

推定 想像 仮定…

時間の区切りがあるのだから
やりたいことは やった方がいい

この戸籍上の名前と姿かたちで出来ることは限りがあるから
やった方がいい と 私は思っているし

決して オカルト的な話をしているのではなくって

自分が どうしたいのか、 何を想い、感じて過ごしたいのか…
という とても大事なこと、は

死のうが生きようが いくつになろうが、考えた方がいいし
遅すぎるということはない、ということ

個人的な自分は死んだら本当におしまい だとしても
(そのほうが馴染みやすいまっとうな考え方だろう)

その世界観 その意志は 他の人々に受け継がれ
(輪廻とか生まれ変わり などではなく)
続いていくのではないか。

永遠に「その形」を留めておくことはなくとも
姿を変え 形を変え
永遠に続く 私たちの意識の営み…

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