人のために仕事をするならば まずはあなたがその気になること

いくら口で人を褒めても

人のためになるであろう知識を人に伝えていても

自分のことを嫌っていたり

責めていたり

嫌だ、嫌だと思っているのに

変えられない自分、

それが当たり前だと思っていないだろうか。

スキルや、知識より大事なことがある。

 

例えば、太っていることを気にしているくせに、

痩せようとしない、開き直ってはいないか?

もし、太っているのが、嫌ならば、痩せよう。

デブは嫌だ と思うなら、

デブだと思うのを、まずやめる。

 

貧乏が嫌なら、貧乏をやめる。

貧乏だと思っていることを、貧乏だという前提を、やめるのだ。

 

体重や体脂肪の数値は、どうでもいいし、

実際に、今いくら持っているか、はどうでもいいのである

ブスが嫌だ、と心底思うならブスをやめればいい。

 

やめると決めること自体には、

何の努力も、お金も、テクニックもいらない。

今日から私は、リッチだ。

私は、可愛い。素敵だ。美人だ。

私はスマートだ。

そう決めて、そのようにふるまっていれば

おのずと行動も変わってくる。

 

人は、影響し合うもの。

立派な人になれ と言ってるわけではないのです。

似た者同士の慰め合いなら、しない方が良い。

 

自分の思いは、クライアントに影響を与えるということ。

変わりたくない同志が、先生役と生徒役で集っている

そんな集団も、実際にあるだろう。

 

意識していることが自分の現実だということを知っているのであれば、

自分のこんなところは嫌だ、というのであれば、変えればいいし

変えたくないなら、

貧乏が好きだ、ブスで幸せ、

デブは心地よい、と堂々としていればいいのである。

貧乏は恥ずかしいとか、ブスは嫌われる、デブはカッコ悪い…

と他人目線で自分を卑下することが 美しくない

「デブ、ブス、貧乏…」などという既存の「記号」に縛られる必要はないのである。

 

痩せるより、食べて太っている方が幸せなら

そんな自分を嫌だ嫌だ、なんて否定することはないし

痩せたいけど、面倒だからデブがいい、と言ってるだけなら

痩せてみればいい、痩せるのは大変だ、面倒だ、という

その「思い」は本当なのか、絶対なのか?

 

ちなみに、私は、「痩せるのは簡単だ」と思っている。

そういう人間も世の中には大勢いるのである。

真似して「思ってみる」くらいしてみたっていいではないか。

 

頑固な人は、他人の意見を取り入れようとしない。

そのくせ、幸せになりたいとか、綺麗になりたい、

私だってお金持ちになりたい、などと言うのである。

なりたいなら、なればいいではないか。

(簡単に慣れれば苦労はしない、と言われそうだが)

 

しつこいようだが、いくら持っているか、収入がいくらか、

そんなことは一切関係ない話をしている。

自分は金持ちだ、と決めればいいだけ。

誰に相談することも、誰の許可もいらない。

 

美人だ、綺麗だ、スマートだ、プロポーションがいい

そう決めればいいだけ。

「他人に何と思われるか」ではなく

「自分がどう思うか」なのである。

 

口が裂けても、私なんて、〇〇だから

なんて 言わないことだ。

言ってしまったら、冗談にして笑ってしまえ。

 

どんな人間にも、あなたさえその気なら、

なれるのである。

勘違いも、極まれば本当になる。

前回のコラム、「どうせなら素敵な勘違いをしましょう」の話も是非参考に。

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