中観とは

「空」がありとあらゆる全て(有も無もなにもかも)を包括する概念だとすれば
「仮」は この世を現実(リアル)と仮定し、全てに仮の役割を持たせる
(ただの幻想だとはみなさない)

「中観」は 空観と仮観、その両方のバランスをとっている状態
全てを俯瞰している意識を「空」とすれば、現実を見ている意識は「仮」
空の視点と仮の視点、両方を意識している意識が「中」
「仮」が自分「中」が私
インスピレーションや「私」を動かす原動力は「空」からやってくる。
(たとえが 上手ではないかもしれません)

空観一辺倒で通すのは社会性の欠如ともとられかねません。

あってないような世界なのだから、現実世界なんて どうでもいい 何をしてもいい、
自他の区別さえ幻想なのだから 自分のことも他人のことも どのように扱ってもいい
良い悪いがないのだから 消してしまってもいい。

一件筋が通っているようですが
社会でその理屈が通用するでしょうか 受け入れられるでしょうか。
たとえ 社会など 幻想だとしても。

消してもいい、は 自他を滅する方向なのです。
そんな理念を通そうとしたら 世界が破滅する前に
その理念が自らを滅してしまうでしょう。
善悪、の話ではありません。

世の中なんて関係ない(世の中に合わせる必要はない)…
かつて そんなこと言ってた私ですが
これは 地球の、宇宙の意志(比喩です)なのだ、
私個人の話でないようです

「世の中」と私、関係大あり、でした 笑

ここで書いていること 口にしていること
やりたいこと 幼い頃からの夢…

私が努力して「思っている」ことでも願っていることでもなくて
あっちのほうからやってくるんですもの。

空(宇宙)から指令が来て(比喩です)
我々は 動いているのかもしれません
私たちと宇宙は表裏一体です

宇宙は巨大な「脳」かもしれない。
某物理学者さん(名前失念です)の説です。

自分とは 他人の(考え 思考 趣味 創作物…)の寄せ集め。
自分が見聞きしたことは かつてどこかで誰かが考えたこと
宇宙の話も 進化のストーリーも何もかも。

自らの考えを五感を通して発信すること
行動すること

それが、人間、一人一人の役割でもあるでしょう。
仮の世界である人間世界は頭と体を動かしてこその世界。

何度も何度も言うけれど
「体感」することで リアリティは変わります。
言語 非言語の両輪を上手に使って
固い、物理世界を揺らがせましょう
動かしましょう。

今日もお読みいただきありがとうございます。

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